ザ・リッツカールトンをはじめとして、商業テナントの目途もつき、工事も着工。西梅田開発は佳境を迎えていた。
そんな中で、1995年1月、関西を震度7の激震が襲った。阪神淡路大震災である。
(開発を中断するのか・・・、このまま進めるのか・・・)
事業主である阪神は大きな決断を迫られた。
阪神・竹中の協働プロジェクトチームとして一緒になって進めてきた街づくりへの熱い想い。
それまでに積み重ねてきた膨大な検討、そして費やした時間。これを無駄にはできない。
「開発を進めよう!街づくりを一緒に完成させよう。」阪神のこの判断と激励が、プロジェクトチームの大きな力となった。
そして1997年5月23日、、
ザ・リッツカールトンが入居する西梅田の新しい街
“ハービスOSAKA”が産声を上げた。
大阪駅の西側に出来た新しい街。
事業主の想いを、勉強会を通じて掘り起こし、実際の“街”として“かたちに”する。
単なる設計施工だけではない、「プロジェクトの全体にわたって、事業主とともに創り上げる」という竹中工務店がこだわった
プロジェクトの推進スタイルで、また一つの新しい街がここに誕生した。
紛れもない、21世紀を迎える大阪の『新しい顔』が誕生した瞬間でもあった。
“ハービスOSAKA”が完成を迎えた後、プロジェクトチームの主戦場は西梅田第2期計画に移った。
現在、ハービスENT、そして第二吉本ビルディング(ヒルトンプラザ ウエスト)が建っている場所である。
現在は一つのスーパーブロックとなっているこの場所は、当時、南北の狭小幅員の市道によって、敷地が分断されていた。
その時点ではまだ工事中であった
“ハービスOSAKA”の完成後の姿、そして大阪の新しい顔としての西梅田の姿を、
頭の中でイメージとしてはっきり捉えていたプロジェクトチームのメンバー。
既存の敷地形状を前提として、バラバラで建築計画を進めていっても、街の完成度には限界があると考え始めていた。
事業主も同様の想いを抱いていた。
「道路を付け替え、敷地を一体化するために、行政に働きかけましょう!」
『西梅田を、大阪、そして日本を代表する新都心とするためには、現状の枠にとらわれない、大胆な発想転換が必要だ』
両事業主、そして竹中工務店のプロジェクトチームには、これを決断し、粘り強く進めていく覚悟があった。
一つの夢を共有した、阪神と吉本ビルの情熱、そして大阪市当局の担当者の努力により、
【敷地整序型土地区画整理事業】の西日本第一号という形となって、敷地のスーパーブロック化が実現された。
ここでも、阪神単独のみならず、阪神と吉本ビルなど隣接地権者と竹中工務店の協働による“勉強会”が繰り返され、
新しい街のコンセプトや事業フレーム、用途構成など、西梅田の街全体に影響を与える、“骨格”が検討・決定されていった。
ここでも、脈々と受け継がれている、街づくりにかける竹中工務店の情熱が、遺憾なく発揮された。