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- ソーラー発電モニタ【ECONONAVIT(エコノナビット)】:京セラ
/挑人/
京セラ
七里 一正
/Kazumasa Shichiri/
/Profile/
1965年2月14日生まれ。大阪府立大学工学部電子工学科に入学後、「何のために働くのか」を模索した結果、大阪教育大学に再入学。一転、理科の先生を目指す。が「社会を体験してから教師になっても遅くない」と思い直し、92年京セラに入社。異色の経歴を持つ。
「人の役に立つ太陽光発電に関わることができれば何でもする気だった」と笑う。
開発商品
ソーラー発電モニタ【ECONONAVIT(エコノナビット)】
開発商品詳細はこちら
STORY
/挑人ストーリー/
太陽光発電に賭ける想い~青い地球は誰のもの?
課題
1997年、地球温暖化防止会議(京都議定書)からさかのぼること22年前の1975年から京セラの太陽光発電の夢は始まっている。
【世のため、人のために・・・】 という理念を掲げた1958年京セラ誕生の瞬間から
【太陽光発電】への取組みは必然だったかもしれない。
1975年に研究を開始し、1980年滋賀八日市工場で本格製造を開始。
1993年住宅用に太陽光発電システムを発売、1998年生産量世界No.1・・・
長い歴史の中で多くの挑人がひしめいている。
研究開発・生産革新・クレーム処理・新技術開発・海外展開・・・その都度、【世のため、人のために・・・】の理念で乗り越えた。
現在、シャープ・京セラ・三洋電機・三菱電機など日本勢に対してQセルズ(ドイツ)やサンテック・パワー(中国)などが急成長するなか、世界的な太陽電池の需要は伸びる一方だ。
各社、“変換効率などハード面の技術革新”にしのぎを削るなか、“消費者の立場にたったソフト面の技術革新”に立ち向かったひとりの挑人を追う-。
Chapter1
【消費者として気づいたこと。】
「京セラには、人の役に立つ“太陽光発電”に関わりたくて入社した。」
ことのほか思い入れが強い。
入社から10年後、2002年1月。
そんな七里が、とうとう自分の家に『ソーラー発電システム』を設置する時がきた。
「期待でわくわくした。」
しかし、いざ発電が始まってみると、全て“自動運転”で、仕事から帰ると発電はとまっている。
外観的にも見えない。全く実感が沸かなかった。
「せっかく、環境にいいことをしようとしたのに、設置したらそれで終わりだな・・・。」
七里はつぶやいた。
必ず、買って頂いているお客様も同じように感じているはず。
「一番身近にある表示モニタを何とかしなければ。」そう確信した瞬間だった。
Chapter2
【『豪華だが、高価だ。』を避けるために・・・】
表示モニタについて、想いをめぐらせると、
販売会社の人からは、「データ送信用のケーブルを引き回すことが大変である。」という声があがった。
競合会社は、白黒の液晶を採用し始めていた。
新商品開発の企画は、【無線化とカラー液晶搭載の表示モニタ】だ。
しかし、問題は“価格”だった。普通にいけば、5倍ぐらいになる。
『豪華だが、高価だ。』と言われたくなかった。
悶々とする日々が続いた・・・。
Chapter3
【『カラーで見えるまで考え抜け!』】
京セラでは、事業化を図る際に、『カラーで見えるまで考え抜け!』を言われている。
挑人、七里は考え抜いた。
表示モニタに焦点を合わせていたら、次から次にヒントが出てきた。
「太陽光発電は素晴らしい商品である、しかし、まだまだ高価な商品。お客様は、地球環境に貢献する意識の高い方々だ。
そのお客様に本当に満足して頂くのには、設置したら終わりではなく、つけてから始まり、家族の意識も変わっていく・・・。
だから、発電量もさることながら、消費電力の表示は欠かせない。さらに、お客様が誇らしげに、リビングや玄関に飾れるような斬新なデザインで、いつも手元において、発電を実感し、楽しめる。」そんな使用シーンがカラーで見えてきた。
商品コンセプトが明確に見えてきたのだ!
Chapter4
【進まない開発会議-コストとの闘いの末に。】
挑人、七里の想いとは裏腹に、2002年8月に行われた企画開発会議での反応は薄い・・・。
「こんなもん、何万も出して買うお客様はおるんか?」
表示モニタはオプションで、顧客が選択する。
ソーラー発電システムを購入頂いたとしても、表示モニタを購入頂くことは難しいのではないかと考えられた。
材料費・外注費を下げるために駆けずり回る日々が続いた。
3ヶ月が過ぎた。
部品仕入れの低減・無線による工事費の削減・営業の差別化販売ツール・・・
色々な効果を謳い、同年11月の企画開発会議に臨んだ。
その時、覚悟を迫られた。
「目標の利益を達成できるのか?(原材料費などコストダウンができるのか?)」
「できます!大丈夫です。」と言い切った。挑人、七里の企画が承認された。
しかし、確かな根拠があるわけではなかった。
そこから約半年間-。
豪華だが、低価格への闘いが続いていた・・・。
やれることは全てやっていった。
Chapter5
【終わらない開発・・・】
2003年6月、ついに、初代エコノナビットが完成した。
京セラは、ソーラー発電システムをハウスメーカーにも販売している。
その中でも、もっとも大きなウエイトを占めていた大手ハウスメーカーはオプション品は全く取り扱わない状態であった。
挑人、七里は、思った。
「お客様に取り扱って頂き、実際のユーザーに使って頂いて、開発は終了する。
開発は、まだ終わってはいない。」
そんな想いが神様に通じたのか、
その後、大手ハウスメーカーの採用も決まった。しかも、カタログやCMでもメインで取り扱われた。
「うれしかった。」
冷静な七里が笑顔で当時を振り返る。
エコノナビットの設置率は、異例の7割を超えた。
他社に無い差別化商品として、営業からも喜ばれた。
計画段階から色々と意見をもらった製造や品質保証からも、喜ばれた。
2003年度グットデザイン賞も受賞。
評価はこうだ。
『住宅用ソーラー発電のデータを確認するには、従来配電装置のところで見るしかなく、いつしか忘れる存在だった。
それをワイヤレス送信で、色々な表示機能が満載された室内モニタで観察できるようにしたもの。
家族でソーラー発電だけでなく、省エネ生活も楽しむという発想がよい。』
挑人、七里がカラーで見た映像そのままであった。
映像が現実になった瞬間だった。