/挑人/

モンベル

真崎 文明
/Fumiaki Masaki/

スリーピングバック(U.L.スーパー スパイラルダウンハガー) : モンベル /Profile/
1952年1月10日生まれ。大阪府堺市出身。現・代表取締役会長・辰野勇さんが1970年に開設したロッククライミングスクールの最初の生徒の一人。1975年、辰野勇さん・増尾幸子さんと共に「株式会社モンベル」を設立、創業時メンバーとして経営に参画。生産部部長職などを経て、1993年4月から常務取締役。2007年12月より現職。日本写真専門学校卒。

開発商品

スリーピングバック(U.L.スーパー スパイラルダウンハガー)

開発商品詳細はこちら

STORY
/挑人ストーリー/

千里の道も一歩から~mont-bell・モンベルブランド確立までの軌跡

課題
登山用品メーカーを目指してモンベルを創業したのは、1975年。
当時28歳の現会長の辰野が創業した。その1ヵ月後に、創業メンバーとして参加したのが真崎(当時23歳)である。

1955~73(昭和30~48)年の20年近くの間、日本経済は成長率が年平均10%をこえる高度成長を続けていた。
そして「高度成長期」から「安定成長期」に移り変り、人々の生活にも余裕が出始め、レジャー産業が急速に力を伸ばしてきた。日本人が初めてエベレスト登頂に成功し、レジャーのひとつとしてアウトドアが注目され始めた頃だった。

日本の戦後復興を、世界は「東洋の奇跡」と呼んだ。
そんな頃、アウトドアを愛する3人が会社を設立した。mont(仏・山)-bell(伊・美しい)『モンベル』だ。
しかし、現在の【モンベルブランド】が簡単に確立されたものではない。
基盤は創業当時から、自分たちで迷いながらも「どう生きるのか」を模索していった結果、育ったものだ。
それは、正に「東洋の奇跡」であり、近年のアウトドア用品の進化の歴史でもある。
【モンベルブランド】確立までの軌跡を追った-。

Chapter1

【運命の出会いから会社設立―ロマンと算盤のギャップ】

モンベルとは【mont=山】、【bell=美しい】を意味する。
創業以来、創始者辰野とともに会社を支えてきたメンバー。それが挑人真崎だ。

その真崎と、辰野の出会いは、創業からさかのぼること5年前―。
それはロッククライミングスクール教室の‘先生―生徒’という形だった。
高校2年、第1期生でそのスクールに参加した真崎は、アウトドアの魅力に虜となる。
しかし、アウトドア潜在愛好者向けのスクール教室というビジネスモデルは、まだ時期尚早だったかもししれない。
第5期をもって辰野はある決断をした。それは『登山用品メーカー』の設立である。
アウトドアを愛する、辰野28歳、そして真崎23歳。増尾を加え、『登山用品メーカー』のモンベルを設立―。
それは同時に、現在の【モンベルブランド】への新たな軌跡の1ページが始まった瞬間でもあった。

当然、若い3人は、大きなロマンをもっての決断だっただろう。
順調にページはめくられるかと思いきや、最初から経営の算盤(採算)があったわけではない。
創業当時は、スーパーのショッピングバックを作るなどして、会社の基盤を確立することになった。
非常に厳しい“納期対応”にも応えるべく24時間ずっと動いた。
「プロフェッショナルとして信頼を勝ち取るには、まず約束を守ることである」そんな思いが渦巻いていた。

Chapter2

【下請け企業としての悔しい思い】

「自分たちが、自分たちの仲間がほしいもの」を作ること。
その商品開発のスタンスは、現在に至るまで変わってはいない。

そんな中、ある大手スポーツ用品メーカーのアウトドア部門「商品開発」の依頼があった。
モンベルの『ユーザー視点での企画開発』に注目したのだろう。
時間をかけてアイデアを出し、企画しサンプルを作って、ようやく僅かな注文を貰えるようになっていった。
経営が安定するかと思われた矢先、真崎たちは不思議なことに気づいた。
「市場で売れているのに、なぜいつまでたっても追加注文がこないのだろうか。」
その疑問をストレートにブランドオーナー(大手スポーツ用品メーカー)に尋ねた。
その答えに真崎は愕然とした-。
「いいものを企画開発していただいたのですが、コストダウンを図るために、今回のロットは、違う製造メーカーにお願いしました」

アイデアを出したのは、モンベルだ。しかし、ブランドオーナーに何を言っても始まらない。
『下請け企業としての限界』を嫌というほど味わった瞬間だったかもしれない…。

Chapter3

【「決断」-下請けからの脱却~モンベルブランドを育成へ】

この悔しい経験が、【下請けからの脱却】の第一歩となり、この決断こそが、現在の【モンベルブランド】育成の礎になったことは言うまでもない。
まさに、決断とは、決めて(退路を)断つことである。
設立から5年。自社商品への取り組みが本格的に始動していった。

当時社長の辰野は当時を振り返りこう述べている。

(中略)経営を学問として学んだ経験も無く会社を起こした私は、書店でビジネス書を見つけては読み、自分なりの解釈で経営を考えていた。
 そんなある日、一冊の本と出会った。「ソニーの世界戦略」である。かつてソニーがアメリカ市場に進出しようとしたとき、アメリカの大手家電メーカーから「ソニーの名前など、アメリカの消費者は誰一人知らない。だからわが社のブランドを付けて売ったほうがきっと売りやすいし、沢山売れるに違いない」そう言われたソニーの創業者・盛田昭夫氏が「貴社のブランドは有名であることは認めますが、そのブランドもきっと最初は誰も知らなかったはずです。どのブランドにも最初の一歩があったはずです。そして今日がソニーにとっての第一日目なのです」と啖呵をきる場面がある。なんと潔く、かっこいいんだろうと感銘した。そして、その時「経営とは哲学」なのだと気付かされた。
「どんなに沢山儲ける」ではなく、まさに
「どう生きるか」なのだと。
【OUTWARD(第41号)発行:株式会社モンベルより引用】

そんな辰野のそばで、真崎たちは【モンベルブランド】確立に向けて大きく舵を切っていくことになる。

Chapter4

【ブランド認知への挑戦】

さらに10年の歳月が経ち、1990年-。

大阪駅構内に自然をコンセプトにしたショッピングモールができるという情報が入った。
当時のGARE大阪(現:ALBi大阪駅店)(JR大阪駅構内)である。

【モンベルブランド】としての出店だ。
30坪程度の小さな店舗だったが、駅構内という立地もあって、家賃は通常の3倍以上である。
そして、同じモール内に当時大阪で最も大きな取引先の一つであるアウトドアショップが彼らの予定しているのより5倍のスペースでの開業が決まっていた。

『メーカーが最大手の取引先店舗の隣に直営店を開店する』のである。
相当の覚悟が要求される。
通常、【メーカー・卸売・小売】という商流がある。
つまり、メーカーが直接小売に進出することは、今までお世話になった卸売業者・小売業者に対して誤解を与えかねない状況である。
しかしながら、【モンベルブランド】を一般消費者に認知してもらうことによって取引先にも貢献できると信じていた。

定価での販売を行い、逆にアウトドアショップでは扱っていないようなモンベルブランド商品を並べ「本当に必要な人」に共感してもらえる商品を販売した。

多くの人が行き交う場というロケーションも手伝い“モンベル”の名は有名ブランドへの階段を登っていった。

Chapter5

【商品開発の肝-私たちが欲しいもの】

現在、全国で約75店舗のモンベル直営店がある。
すべては、【モンベルブランド】を育てるという一念からだ。

ブランドを表現する商品開発にもその考え方は表れている。
「南極に行くための防寒着、20着分作ったこともあります」
「12人ゆったり寝れるテントも作りましたね」と笑う。
実は、一度この世に出た商品の“廃番”は少ない。

また、価格についても「革命」を起こしている。
小売店の激戦区である都会では安く売られていても、田舎の小売店では全く違う値段で売られていた。
「本当に必要としてくれる人に届けたい」
値段の格差をなくすために彼らが出した決断―
「製品を全品3割下げよう!そして全国一律で、誰もが同じ値段で購入できるように」
勿論、売上の減少もあることが予想されていた。
しかし、それは逆だった。
お客様視点で考えた、この決定によりアウトドアファンの人の心を掴んだのだ。

「自分たちの欲しいもの、それを1万人の人が必要としなくても、たとえ100人でも200人でも“本当に必要な人”に共感してもらえる品物を作る」

今でこそ、アウトドア用品メーカーのブランドが確立しているモンベル。
それを築きあげてきたのは、紛れもなく今も色褪せることのないアウトドアへの情熱である。

そこに山があり、アウトドアが好きな仲間たちがいる限り真崎たちの挑戦は、今後も続くのである。

/プロジェクトの今後/

“自然が大好きな方々へ、モンベルがお役に立てること。これをさまざまな形にしてお届けいたします”
現在、モンベルが立ち上げている【モンベルクラブ】では会員数が約32万5千人('12/04月現在)。その中で様々な、アウトドア情報を発信している。
会員ならではの特典では、創業者である会長の辰野さんのコラムなどアウトドア情報満載の「OUTWARD」を手にすることができたり、 素材や機能を追求したモンベル製品の情報がのっている「製品カタログ」などを手にすることができる。また、モンベル・アウトドア・チャレンジ(M.O.C. 通称モック)というモンベルクラブの野外活動部門を設け、日本全国で多くのアウトドア・ツアー、イベントを開催している。

「考えるよりまず感じろ!」
この言葉のように、今後も消費者との距離を縮め、アウトドア用品の総合メーカーとして進化していくつもりだ。

/会社訪問/

〈写真左〉SINCE 1975 mont-bell
〈写真右〉創業当時から使われたミシン!

社員=商品企画者~全社員450通りの製品への想い

学生時代にアウトドアを子どもたちとしていた私にとって憧れのブランド―
それは、モンベルでした。その想いをもとに中に入ると…「こんにちは!」と元気な声でお出迎えして頂きました。社屋の一階には実際の商品が売られているショップがあり、そこには“mont-bell”の看板が飾ってありました。
今回取材でお伺いした社長室に入ると、1台の自転車が目に入りました。後々分かったことは、真崎社長は会社まで自転車で来られているというとのこと。
『社員が皆、一ユーザー。基本的な価値観・ベクトルは同じ』
この言葉が示すように、モンベルにはアウトドアが好きな人が集まっているからこそ、商品開発へのアイデアにユーザーとしての意見が入り、お客さんが本当に必要な製品が開発されているんだと、思いました。
その商品開発の裏側には、1000人規模での“商品開発会議”が行われ、店舗スタッフ、営業、広報部署に限らず、全員が商品企画のアイデアを出されているそうです。
中には、「この前、自分が山に行った時に欲しいと思ったもの…」というように、ふとしたアイデアから生まれるものもあります。
それを、『アイデアシート』と呼ばれるもので案を出し、企画段階まで選ばれれば、いちアイテムとしてユーザーの元へと、届けられるわけです。
「【売れる商品】を作るのではなく、【欲しい製品】を作る」
に徹しているからこそ一つ一つの製品に対する思いの強さを感じます。

“物語”=モノが語る
この言葉のように、一つ一つの商品を手にとってみると皆さんの想いが感じ取れるようでした。
←左のミシンはなんと、創業当時に使われていたミシンです!!!

みなさんも、アウトドアをされる際には是非一度モンベル商品の温かさに触れて頂ければ、と思います。■モンベルオンラインショップはこちら

Corporate Data/会社概要/

会社名株式会社モンベル
URLhttp://www.montbell.jp/
設立1975/8/1
代表者辰野勇
資本金2000万円
商品分類生活関連 - ファッション・アパレル・繊維
従業員数610 名
事業所大阪府大阪市西区新町2-2-2
お問い合わせ先モンベル・カスタマー・サービス :
お問い合わせ電話番号06-6536-5740
お問い合わせFAX番号
経営理念モンベル、それは美しい山
私たちは、自然がどんなに美しく
自然に振る舞うことが
どんなに素晴らしいことかを知っています
主な事業アウトドアスポーツ用品 企画、製造、販売

挑人ストーリー一覧

取材に関するお問い合わせ