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/挑人/
TOA
藤田 毅
/Takeshi Fujita/
/Profile/
1966年5月10日生まれ。九州芸術工科大学(現 九州大学)卒業。
TOAに入社後は商品開発・研究開発・海外工場駐在などスピーカー一筋で現在に至る。私生活では読書や旅行、バンド活動、アウトドアの他、「もっとやりたい事がたくさんある」と多趣味な一面も。モットーは「問題を常に解決して、新しいことを」。その姿勢は社内でも貫かれ、その持ち前の正義感の強さで高い評価を誇っている。
開発商品
ホーンアレイスピーカー
開発商品詳細はこちら
STORY
/挑人ストーリー/
防災から減災へ―既存商品の可能性の拡張が果たす企業としての使命
課題
13%。
東日本大震災の時、岩手・宮城・福島の3件で、防災行政無線がはっきりと聞き取れた人の割合だ。
なぜ、呼びかけが届かなかったのか。
防災行政無線が抱えた課題は何なのか。
そして、記憶に、心に、刻んでおかなければならないものは何なのか・・・
地震列島、日本。
東日本大震災後の復興の状況とともに、これから起こる震災の可能性が試算され、毎日のように報道されている。
もしものときに、「人命に関わる」。甘いことは言っていられないのだ。
実際に津波の痕跡が残る現場に立ち、災害を経験した企業として、音に携わる企業として、何が出来るのかと、何かしなければならないと、恐怖にも似た危機感を募らせた商品企画担当の山内。
防災行政無線の課題を洗い出し、その解決へと突き進むプロジェクトが立ち上がった。
Chapter1
【操作性の良さと次の展開を見越した開発】
「本当にできるのか・・・?」
2006年まで4年間、ものづくりの熱気があふれるインドネシアの工場で働いていた藤田は、日本に戻ってきてすぐ、既存のホーンスピーカーの再開発を任された。
しかも与えられた開発期間は一般的な商品開発の1/4という短さ。
実際のところ、不本意だった。だが、藤田の中でくすぶっていた熱気が、開発意欲を刺激する。
「どうせ作るなら、俺にしか作れないものを作っておこう」
「皆がくれるアイデアを盛り込んでおこう」
積み重ねられるように、連結させるメリットが活かせるように、そして伏せて置いておけるように・・・
それはもちろん外観だけではない。シミュレーションを駆使して音質や音の指向性も追究した。
詰め込めるアイデアは詰め込んでおく。
そこには藤田の技術者=音の創造者としての誇りがかかっていた。
そして藤田は約束通り、短期間でホーンスピーカーの改良を終わらせた。
Chapter2
【技術を棚卸し、新市場の可能性を探る】
藤田の苦労にも関わらず、改良したホーンスピーカーの生産終了の話が浮上する。
音響教育を担当していた福山が線状(ラインアレイ)音源の遠達性に関心を持っていたのも、ちょうどこの頃だった。
阪神淡路大震災のとき、テレビもラジオも、もちろん電話もつながらない状態で情報が錯綜した経験がある。
広域で、多くの人に情報を伝達するのに適しているのではないか。
福山の興味は、これまでの【音をどれだけ抑制するか(騒音対策)】から【どこまで音を飛ばせるか】にシフトしていた。
「もっと遠くまで音が届くものをつけないといけない」
福山は密かに研究を続けた結果、とんでもない結果にたどり着いていた。
理論通りなら、ホーンアレイスピーカーから放たれる音は、従来のトランペット型のスピーカーとは比べ物にならない。
2008年、音響研究所に異動した福山は、藤田が改良したホーンスピーカーを使って本格的な研究を始める。
そしてこれを「ホーンアレイスピーカー」と名付け、既存のホーンスピーカーからの脱皮を図る、新しい一歩を踏み出した。
Chapter3
【潜在ニーズを拾い上げる=超マーケットイン】
思考錯誤を繰り返した。
しかし、実際に「どこまで音を飛ばすことができるか」を実験できる場所がない。
結果さえ分かれば、騒々しいイベント会場などにも応用できるのではないか。
まだこの時点では、ホーンアレイスピーカーは可能性のままだった。
そのような状況の中、2009年に初めて、防災用スピーカーとして広島県海田町で音達試験が実施された。
しかし、福山はその現場の見通しの悪さ、設置場所の低さから、良い結果は残せないだろうと予測していた。
「これは無理だ・・・」
現場に居合わせた社内の人間の誰もが思った。
しかし、防災関係者の人の意見は違った。
「トランペット型スピーカーと比べると、よく聞こえる。」
実際、ホーンアレイスピーカーはトランペット型に比べ、距離にして約2~3倍、面積にすればそれの二乗の面をカバーすることができたのだ。
初めて、ホーンアレイスピーカーの効果性が認められた瞬間になった。
これを機に、防災行政無線に関してはずぶの素人だった福山が、防災行政無線を評価する基準・知識を求めることとなる。
Chapter4
【企業としての責任―社会とのコミュニケーションをとる】
2011年3月11日。未曾有の震災・津波が東日本を襲う。
震災後、ホーンアレイの音達試験のために福島県沿岸部に降り立った福山・山内は、その光景に愕然とした。
跡形もない家屋、引潮で沖合まで引き込まれた大型クレーン、原型をとどめていない多数の車輌。
津波が襲ったことをまざまざと見せつける光景が広がっていた。
福山と山内はその光景を茫然と見ながら、何よりも「逃げろ!!」と伝えることの重要性を感じていた。
「うちでやれることがあるんじゃないか?」
「うちがやらなきゃいけないことなんじゃないか?」
「音が果たす役割は何かあるはずだ」
出た答えは「そこに救える命がある。そこに救う音の技術がある」
その日の音達試験では悪天候に苦戦し、満足できる結果が得られなかった福山・山内。
だがその後、現地の人が晴れた日にテストをしたとき、ホーンアレイスピーカーはクリアに響いた。
それは、地域住民から苦情が来るほどだった。
Chapter5
【点から線へ、線から面へ・・・社員の中に生まれる社会貢献の意識】
その後も、藤田・福山・山内らプロジェクトチームは各地に赴き、自治体でテストを繰り返した。
その音量・音の明瞭さから、「魔法のスピーカー」「次世代型」と呼ばれるようにもなった。
また全国の防災物件を支援する営業開発課と営業所の連携により、次々と音達試験を要望する自治体が増加、2012年10月現在で約40の自治体で音達試験を実施するなど、
着実にその実績を伸ばしている。
それと同時に、また新たな課題に直面する。
藤田はその問題点に向き合い、災害用のホーンアレイスピーカーの標準化を進める。
藤巴ら販売企画チームは、それらをすぐにデモできるよう、デモ機・資料を整備する。
デモ機はもちろん、現場で簡単に設置できるようにマニュアルが作られ、設置する架台も、バラバラに分解できて輸送が簡単になるように設計されている。
このプロジェクトの動きを見て、各関連部門が連携を取り始めた。
「自分たちにも、何かできることがある」
自らの得意分野を最大限に活かす。
一人でも多くの住民の命を救うことで社会貢献に繋がれば・・・
それがプロジェクトチームの最終目標だ。
技術だけではない、その技術をどう活かすかまでを提案する。
その活動が、新しい日本の防災システムへと繋がっているに違いない。