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/挑人/
アシックス
山田 裕也
/Hiroya Yamada/
/Profile/
学習院大学卒業。1988年入社。入社後、企業リスト(住所録)・地図・カタログを持って、一から営業活動をスタートした。その後、一貫して東京地区での営業活動に従事。入社2・3年目からスポーツ店既存ルートではなく、カジュアル・スニーカーを取扱い靴屋さんへ。「最初はカルチャーショックを受けた。」と笑う。
このルートが後に古くて新しいブランドを誕生させることになる。
開発商品
オニツカタイガー
開発商品詳細はこちら
STORY
/挑人ストーリー/
服屋で靴が売れるのか!?
課題
1990年代後半、アスレチック全種は、成長が止まっており、通常のスポーツ店は大型店に凌駕されていた。
スポーツ用品に、衝動買いはあまりない。
フィットネスウォーキング市場・ビジネス市場または子供向け市場など・・・
ある程度収益が見込まれていた、がアスレチック全種の落ち込みがそれ以上にひどかった。
日に日に危機感が増していった。
『次の柱を探さないと。』
入社3年目以降、スポーツ店のルートセールスではなく、アメリカからの輸入商品を靴屋に卸していた山田に期せずして
白羽の矢がたった。
Chapter1
【新市場発見-お客さんの声が引き金に。】
1999年のある日の東京。
いつも通り営業活動をしていた山田は、偶然こんな声を聞いた。
『ヨーロッパのパリやミラノでオニツカのカジュアルシューズを見た。日本でも売りたい。』
東京・代官山の有名ショップが名乗りをあげたのだ。
『関係部署に掛け合ってみます。』山田は応えた。
当時、マーケティング部部長の藤田(現スポーツ工学研究所)・企画開発部部長の中山は、
その話を喜んで受けた。渡りに船だった。
『海外ファッションメーカーがスポーツ分野に興味を示し、海外スポーツメーカーがスポーツ・ファッションの分野へ挑戦していた。
アシックスもスポーツ・ファッション分野だ!』
店側の要求は、「店舗オリジナルカラーを作って欲しい。」
こちらの要求は、「とりあえずパブリシティを出してください。」
※パブリシティとは企業のPR活動のひとつで、広告と違い代金の支払を発生させず、新聞や雑誌に取り上げられること。
現場では、このような応酬が続いていた。
アシックスにとって、初めての試みだ。当然予算などない。広告費をかけることもできない。
山田は、必死で頼み込んだ。
結果、500足ずつ・3カラーを作った。
行列が出来て、一部の色では完売になった。
Chapter2
【時を同じくしてアメリカでも。-全ては“危機感”から始まった。】
ここから、不思議な連鎖が始まる。
アメリカでは、シューズ開発で山田の同期たちが、頭を抱えていた。
『アメリカ市場では、ほとんどランニング・シューズのみ。第二・第三の柱が育たない・・・。』
『せっかく、開発しても売り先が見つからない。』
山田は、そんな同期の声も見逃さなかった。
ヨーロッパの状況、日本の現在の状況を伝えた。
最初の成功を継続・発展させたかった・・・。
「一緒に売ろう。」
挑人・山田を中心に日本で販売することになった。
2001年10月。
ついに、【復刻版・オニツカタイガーブランド】が完成した。
全ては、日米欧の“危機感”から始まっていった。
Chapter3
【一貫性のある行動に徹した~名づけて、ゲリラ・マーケティング】
実は、過去1995年当時から【ジパング】や【GISB】というブランドを立ち上げている。
コンセプトは、“日本ブランド”
日本ブランド価値をあげるために、メンバー自ら羽織袴でお客様をお迎えし、お雛様をお土産にした。
ニューヨークのシェラトンホテルのロビーやショーウィンドーを独占したりした。
完売するまで、季節ごとのイベントも世界中あちこちでやった。
ゲリラ・マーケティングという手法だった。
しかし、思うように軌道にのらなかった。
今回のプロジェクトでは、これらの経験が、少なからず生かされていた。学習していたのだ。
【オニツカタイガー】は、ヨーロッパでのレトロブームや日本ブランドを連想させるブランディングが功を奏した。
Chapter4
【成功物語(サクセス・ストーリー)の裏側で。】
ここまでのストーリーを聞いていると、全てうまく展開しているように思われる。
しかし、内部では、かなりの葛藤があった。
葛藤の原因はこうだ。
アシックスは創業以来、アスレチック競技者用シューズを愚直に開発してきた会社だ。
つまり、全てはアスリートのために、機能を考え抜き、品質基準を設定し、製造してきた。
一方、ファッション分野は、若者が対象で、“かわいい~。”“かっこいい~。”が購買動機になる。
同じシューズでもユーザーが全く違う価値観を持っている。
『競技者用シューズとファッション分野シューズでは、考え方を180度変えなければならない。』
そのことを全社員が理解することが難しかった。
「競技以外では、“無理。”」「服屋で靴が売れるか。」・・・
社内でそのような声が上がっていたことも事実だった。
Chapter5
【『初めて息子に欲しいと言われた。』・・・その瞬間。】
その後、直営店も増え、売上げも順調に増えていった。
クールな山田が、うれしそうに笑う。
「ある社員が、『初めて息子にうちの商品を欲しいと言われた。』と言ったことがあって・・・。」
その瞬間、社内でスポーツ・ファッション分野が認知されたと思った。
今では、売上高120億を超えている。日本だけではなく、ヨーロッパ・韓国・中国・・・
もうひとつ、面白いエピソードがある。
大手自動車メーカーの幹部社員がアシックスを尋ねてきた。
一同、『なぜ自動車メーカーが?』不思議だった。
「アシックスさんはどちらかと言うと大人のブランド。当社も大人ブランドのブランドです。
若い女性をターゲットに受け入れられる商品を作りたいのですが、なかなか・・・。
そこで、若い方々に受け入れられる商品開発についてご意見を伺いたい・・・。」
とのことだった。
山田も、常に自業界ではなく、他業界に焦点を当てヒントを探っている。
だから、気持ちがよく分かった。
最後に、挑人・山田はいう。
『自分の“嗅覚”を信じ、これからも“興味”を失わずにやっていきたい。』
挑人・山田の挑戦は続いていく。